『般若心経』(はんにゃしんぎょう、サンスクリット語: प्रज्ञापारमिताहृदय、Prajñā-pāramitā-hṛdaya)は大乗仏教の空・般若思想を説いた経典の1つ。宗派によって呼び方は様々あり、この他に仏説摩訶般若波羅蜜多心経、摩訶般若波羅蜜多心経、般若波羅蜜多心経と言う。略称として心経。なお、漢訳には題名に「経」が付されているが、サンスクリットテキストの題名には「経」に相当する「スートラ」の字句はない。
僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、一部の宗派を除き僧侶・在家を問わず、読誦経典の1つとして、永く依用されている。
( 中略 )
日本では仏教各派、特に法相宗・天台宗・真言宗・禅宗が般若心経を使用し、その宗派独特の解釈を行っている。ただし、浄土真宗は『浄土三部経』を、日蓮宗・法華宗は『妙法蓮華経(法華経)』を根本経典としているため、般若心経を唱えることはない。これは当該宗派の教義上、用いる必要がないということであり、心経を否定しているのではない。例えば、浄土真宗西本願寺の住職であった大谷光瑞は般若心経の注釈を著している。
天台宗では、「根本法華」として重視している。また最澄作とされる般若心経の注釈がある。
真言宗では、読誦・観誦の対象としている。日用経典(日課等通常行事用の経典)の1つとしている(般若心経秘鍵を参照)。また、繰り返し読誦する場合は、一回目は、冒頭の「仏説」から読み始めるが、2回目以降の読誦では「仏説」を読まず、「摩訶」から読む慣わしとなっている。この宗派の僧侶には開祖空海が般若心経を重視したために注釈・解釈を著す僧が多く、著作が色々とある。このうち、特に戦後の日本における高神覚昇・宮坂宥洪などの著作が知られている。高神の『般若心経講義』は戦前、NHKラジオ放送で行われたものであった。現代日本語で書かれた解釈書としては非常に評価の高いものであり、異なる宗派の僧侶や仏教学者からも評価されている。
浄土宗では、食事等の際に唱える。
時宗では、神社参拝及び本山での朝の勤行の後に熊野大社の御霊を祀る神棚に向かい三唱することが必須となっている。日用に用いる場合もある。
臨済宗では、日用経典の1つとしている。また、一休・盤珪・白隠が解釈を行っている。般若心経とは自分の心の本来の姿を現した経典であるという主張を行うことが多い。
曹洞宗では、日用経典の1つとしている。開祖道元が解釈しているほか、天桂の「観自在菩薩とは汝自身である」という解釈が有名である。また、良寛・種田山頭火など般若心経の実践に取り組んだ僧も多い。良寛は般若心経の大量の写経を残しており、種田は般若心経を俳句に読み込んでいる。
修験道では、修験者(山伏などの行者)が「行」を行う際に唱える。
神道でも唱えるところがある。神社(神前)で読誦の際は、冒頭の「仏説」を読まずに、「摩訶」から読む。また、前もって「般若心経は仏教の全経典の中から選りすぐられた経典であり、それを謹んで捧げます」というような内容の「心経奉讃文(しんぎょうほうさんもん)」を読み上げる場合もある。熊本の熊本城稲荷神社の神拝詞には、大祓詞(おおはらいのことば)、六根清浄大祓(ろっこんしょうじょうのおおはらい)、三種大祓(さんじゅのおおはらい)、の次に般若心経が書かれている。
via 般若心経 - Wikipedia
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